知識欲を満たす跳び箱

ゴミ箱である.覚書,備忘録とも言う.

絵画や音楽,映像作品などの芸術において見る,作品に触れることによって得られるものは,受け手側の感受性や分解能に依存する.芸術とは,曖昧な,言語化が難しい表現であることが多いように思う.自分は感想を言う際の感じたことの言語化についてよい印象を持っていない.抽象的なものに触れるときに,言語化することによって逆に見方が狭くなってしまうのではないか.もやもやしたまま描かれたものは,もやもやのまま理解すべきなのではないか(もやもやのままの理解は難しいと思うが).

作品を見たときに,受け手は作者の主張したいことを考える.それが自分に対する主張でなくとも,彼彼女らはなにが言いたくてこれを作ったのか.なぜその媒体を選んだのか.ある種,作者とのコミュニケーションであるように思う.作者の言いたいことが作品であるとして,それに対する受け手は,何を返すのか.それが感想である.ここで,受け手の言語化能力が発揮される.言語に限ったことではないので表現力と言い換えてもいいが.先ほど書いた,もやもやのままの理解は,どちらかというともやもやのままの表現といえるかもしれない.

自分の感じたことを表現する能力が語彙力であるとすれば,作者の言いたいことをくみ取る能力が分解能である.この分解能をあげるには自分でも作品を作ってみるのが手っ取り早いように思う.作っている人間の思考をトレースしやすい.思考のトレースによって,作者が何を考えて作ったかを考えやすくなり,言語を通さない対話をすることができる.普段の言語でのコミュニケーションより,解像度の高い「会話」ができるのである.

曖昧なことの言語化は難しい.イマイチまとまりがないが多少の言語化ができた気がする.気が向いたら追記.