知識欲を満たす跳び箱

ゴミ箱である.覚書,備忘録とも言う.

「カテゴライズされたくない」主張を近年よく目にするようになった.肩書,分類は自分そのものではなく近似でしかないといった主張.年齢によるものだろうか.単に自分の見ているコンテンツがそれに変わってきたのか.それとも社会が習熟して多様性が増えてきたためにそういった主張も増えてきたのか.後者であれば,習熟した文化においては,習熟していないときに比較して,単一的なカテゴライズを忌避する傾向にあるといえるか?どちらの要因もありそうに思える.

 

先日,「どんな記事を書く時でも,書く時には殺してやる…!と思って書いている」という記述を見た.そう思わないと書けない気持ちには共感する.殺してやるとまではいかなくてもネガティブな感情が文を勝手に書いてしまうというか.ただ,報告書的な文書はそう思わなくても自然に書ける.訓練によるものだろうか.

 

精神的な落ち込みが少なくなった.以前は毎日のように夜になると非常に落ち込んで,生きる意味なんぞを考えていた.最近はめっきり快眠である.おそらく受験が終わって落ちるかもしれないという心労から解放されたためであろう.緊張状態によって体調が左右されることを再認識.

 

自分の中の感性,気分の重み係数,パラメータを可視化したい.快適に過ごせるようになるような,気がする.