知識欲を満たす跳び箱

ゴミ箱である.覚書,備忘録とも言う.

ある程度影響力がある人(ここではその人の話を他の根拠を調べずに信用する人が複数人観測できる人のこととする)は,専門性の必要な事柄に対して自分で納得・確認した知識がないまま意見をするべきではない.専門性が必要な事柄は,小中学校の教育課程に含まれていないものとする.個人的に,影響力がある人(アーティストなど)のよく調べていないことが分かる政治的発言や,自然科学に関する発言には思うところがある.自分で確固たる情報源を調べたわけでもなく受け売りでの批判は正鵠を得ていないことが多い.意見における間違いが悪いわけではない.誰でも最初は間違うし,間違えることによって理解が深まることも大いにある.そもそも正しさが明確に定義できない場合もある.問題は,影響力がある点である.ある問題について,自主的に調べることをせずに,自分が尊敬している人間が情報を流していたら,その情報を信用したくならないだろうか.情報は,然るべき場所から引き出して,自分で判断するべきである.

専門性が必要な問題において,その分野を勉強していない素人は,何が問題かを理解するのも難しい場合が多いと経験的に感じている.所詮自分は工学の分野しか知らないが.

 

結局ただの当たり前の話.久しぶりに書くとまとめるのも,論理的に書くのも難しい.前よりは衰えたように感じる.勘が戻ってないだけか?